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第26页


 橙子は含みをもった目で式を流し見る。
 昨夜、夜七時から八時にかけて起きた地下バーでの殺人事件の結果しか彼女は言っていない。だというのに式はそれでどのような事件だったのかを理解したという。
 それは両儀式が橙子よりの人間だという証明に他ならない。
「依頼主は犯人に心当たりがあるとの事だ。君の仕事はその犯人を可能なら保護すること。だが少しでも抵抗するようなら――――ためらわず殺してほしい、とさ」
 式はそう、とだけ答える。
 内容は簡単。犯人を捜して、殺すだけ。

「けど、その後は?」
「もし殺害におよんだ場合、あちら側で事故死として処理する。依頼主にとって彼女はすでに社会的に死んだ人間だ。死人を殺す事は法に触れない。どうする? 実におまえ向きの仕事だと思うんだが」
「そんなの、答えるまでもない」
 言って、式は歩き始める。
「性急だな。そんなに飢えていたのか、式」
 式は答えない。
「ほら、相手の顔写真と経歴だ。顔も知らずに何をしようというんだ、おまえは」
 呆れて資料を投げる橙子に、式は眼差しだけで答えた。
 資料の入った封筒がぱさり、と床に落ちる。
「いらないよ。そいつは間違いなくオレと同類。――――だからきっと、会った瞬間に殺しあう」
 式は事務所から去っていく。
 衣擦れの音と、冷酷な眼差しを残して。

          ◇

 勢いで事務所から飛び出した後、仕方がないので友人からお金を借りる事にした。
 六月に止めてしまった大学の食堂で待ち合わせると、正午過ぎに肩で風を切って学人がやってきた。学人は体格の良かった高校時代からさらに輪をかけて迫力を増している。
 こちらの用件を言うと、学人はやっぱり難しい顔をした。
「驚いたな。金借りる為に人を呼び出すなんて、おまえ本当に黒桐幹也くんか?」
「僕だって追い詰められれば何でもやる。つまり、今はそういう状況なわけ」
「それで開口一番に金を貸せ、か。らしくねえなあ、俺が年中金欠だって知ってるだろ。そんな無駄なコトするより親御さんに借りた方が早いって解ってるだろ」
「あのなあ、両親とは大学止めた時にケンカ別れしてそれっきりだ。今更どの面さげて帰れっていうんだ、おまえ」
「ははあ、幹也はヘンな所で頑固だからな。親父さんと派手な言い争いでもしたか」
「うちの事情なんてどうでもいいよ。それで貸すの、貸さないの」
「なんだ。機嫌悪いな、おまえ」
 余計なお世話だと睨むと、学人は簡単にオーケーしてくれた。
「おまえの名前を出せばカンパだけで五、六万は集まるだろうし、それでも足りなかったら俺が援助してやる。ただし、魚心あれば水心ありだ」
 ……どうやらこいつにも頼み事があるらしい。
 学人は周囲に気を配り、人気が無い事を確認してぼそぼそと喋りはじめた。
「まあ、ようするに人捜しなんだけどよ。俺達の後輩で一人、家に帰ってないヤツがいるんだ。これがどうも、変な事件に足つっこんじまったようでな」
 学人の話は、穏やかではなかった。
 行方不明の後輩の名前は|湊《みなと》|啓太《けいた》。
 昨日から行方不明という学人の後輩は、昨晩あった猟奇殺人の被害者達の一党だという。昨夜、一度だけ湊啓太は友人に連絡をいれたのだが、その様子があまりにおかしかったので、連絡を受けた友人が先輩である学人に相談しにきたというのだ。
「啓太のヤツ殺されるとかなんとか口走っていたそうなんだが、電話はそれきりでな。ケータイにかけても出やしない。電話を受けたヤツの話じゃ、かなりキマッちまってたらしいがね」
 キマッてる、とは薬のことか。後遺症の残らない初心者向けの麻薬は、最近になって値段も安く入手も容易くなっている。エルあたりなら高校生でも手が届くだろうけれど、無理して届かせる必要はあるまい。
「……あのねえ、僕にそういうヴァイオレンスな世界が似合うと思ってるのか?」
「何いってやがる。こういう失せ物捜しは得意中の得意のくせに」
 答えず、僕は黙り込んだ。
「その啓太って子、普段から薬はやってるの?」
「いや、やってたのは殺された連中。啓太って覚えてないか? おまえにやけに懐いてたヤツの一人だよ」
「―――ああ。その子なら、知ってる」
 高校時代、なぜか僕はその手の後輩からも好かれる立場にあった。たぶん学人の友人だという事で特別視されていたのだろう。
「……はあ。慣れない薬でトリップしてるんならいいけどね。連中のやってる薬ってアップ系とダウン系、どっち?」
 麻薬には精神が高揚して上機嫌になるアップ系と、逆に陰欝に沈み込むダウン系がある。
 学人が口にした麻薬の名前はダウン系だった。
「恐くなって薬に逃避している―――なら、まずいな。その子、本当に犯人に狙われているのかもしれない。……仕方ない、引き受けるよ。連中の友人関係を教えてくれ」
 学人は待ってました、とばかりにアドレスをよこす。
 友人の数だけは多いのが彼らグループの特徴で、数十人もの名前と携帯電話の番号、それと各グループの溜まり場が書き込まれていた。
「見つけ次第連絡するよ。もしかすると僕のほうで保護する事になるけど、かまわないな?」
 この保護、とは刑事である従兄の大輔兄さんに預かってもらう、という意味だ。
 それは承知しているのか、学人はおうと頷いた。
 商談成立だ。とりあえず捜査資金として二万ほど借りる。
 学人と別れた後、殺害現場に行ってみる事にした。やるのなら本腰をいれないといけない、とすでに直感していたからだ。
 僕は軽い気持ちでこの人捜しを引き受けたわけではない。
 本当は関わるべきではないと理解していても、その湊啓太という後輩が危うい立場にある事もやっぱり理解できてしまっていた。だから、断る事はできなかった。



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 電話のコール音が響く。
 五回ほど鳴って音は止まり、留守番電話に切り替わった。
 ぴー、という発振音のあとに、今まで私が聞き慣れていたらしい男の声が流れる。
「おはよう式。さっそくだけど頼まれてくれないかな。今日の正午きっかりに駅前のアーネンエルベって喫茶店で|鮮花《あざか》と待ち合わせしてたんだけど、どうも行けそうにない。君、暇だろ。行って僕は来ないって伝言しておいてくれ」
 電話はそこで切れた。
 ……私はけだるい体を動かして、ベッド脇の時計を見る。
 七月二十二日、午前七時二十三分。
 自分が帰って来てからまだ四時間ほどしか経っていない。
 昨日、トウコの依頼を了承して夜の街を朝の三時頃まで歩き回っていたせいか、体がまだ眠りたがっていた。
 私はシーツを被りなおす。
 真夏の朝の暑さも、私にはあまり関係がない。両儀式は子供の頃から暑さや寒さには我慢強い体質で、それは今の私にも受け継がれているからだ。
 しばらくそうしていると、もう一度電話のコール音が鳴り響いた。
 電話は留守番電話に切り替わり、次にあまり聞きたくない声が流れてくる。
「私だ。ニュースは見たか? 見ていないな。見なくていいぞ、私も見てない」
 ……つねづね思っていたが、確信した。あの女の思考回路は私とは大きくかけ離れている。トウコの言葉の本意を理解してはいけない。