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第101页


 そこへ----通路から、硬い足音が響いてきた。
「---!」
 まずい、と幹也は走りだす。
 とりあえず階段を使って二階に上がろう。そう直感して幹也は動きだす。だが、彼の足が階段を踏みしめる事はなかった。ざん、と勢いよく物を切る音がしたかと思うと、彼の両足は力なく地面に膝をついたからだ。
「あ---」
 伸ばした手が、階段の手摺りに触れる。けれど幹也の手はそのまま滑り落ちて、彼は階段に倒れこんだ。
 段差に伏したまま幹也は自分の足を見る。
 ......膝の部分から、赤いものが流れだしていた。
 背後から両膝を刃物らしきもので切られた、と彼は他人事のように把握した。自身が傷ついた、という実感はあまりない。
 なぜって、傷は痛いというより熱くて、動かなくなった足は本当に他人の足みたいに感覚がなかったから。
「おいおい、そのぐらいで倒れられちゃ困るよ。今のは威嚇《いかく》のつもりだったんだぜ。あんな魔力をぶつけただけの衝撃を弾けないでどうするんだ、少年」
 赤いコートの青年は、演説をするように両手を広げて歩いてくる。
 幹也は何も言えず、階段に這いつくばったまま、自身の血を眺めていた。
 倒れたコップからこぼれていく水のように、赤い血は流れていく。段々と意識が朦朧《もうろう》としていくのは、その赤色があまりに毒々しいからではなく、単純に生命活動に必要なだけの血液が失われつつあるからだろう。
「それとも君も造るのが専門な訳かな。だが自分の身一つ守れないようでは魔術師とは呼べないぞ。
 ......ふむ、どうやらアオザキは師としてはあまり優秀ではないようだね。---そう、そもそも彼女は欠陥だらけなのさ。知ってるかい?我々の協会ではね、最高位の術者には色を冠した称号が与えられる。中でも原色である三色はその時代最高の証だ。
 アオザキはその名の通り|青《ブルー》の称号を貰いたかったのだろう。だが協会は与えなかった。自分の妹に家の相続権を奪われ、その復讐の為に協会に入ったような女に純粋な色は似合わない。皮肉な事にね、アオザキはその名に反する赤の位を受けたのさ。自身の名前と同じ俗な色だ。橙色の魔術師に相応しい色! 原色の赤になりきれない傷んだ赤色さ。くく、なんともあの女にぴったりの称号じゃないか!」
 赤いコートの青年は、階段に到着した。
 血を流して階段に倒れ伏す黒桐幹也を見下ろして、満足げな笑みを浮かべる。
「師と同じ場所で果てるのも因果だね。アオザキの弟子だというから、何かよからぬ事でもやってくるかと思ったのだが。まったく、とんだ拍子抜けだ」
 笑いながら青年は手を伸ばす。ゆっくりと、倒れこんだ少年の顔を掴もうと身を屈める。
 そのゆったりとした動作とは正反対に、突如、黒桐幹也の体が跳ね起きた。
「むっ----!?」
 驚きのあまり、青年の思考は一瞬だけ真っ白になった。
 その隙を衝くように、幹也はザッと上半身をバネのように起こして、体の下に隠していた銀のナイフを青年へと突きいれる!
 黒桐幹也は、使う事はないだろうと用意していた蒼崎橙子のぺーパーナイフを、力任せに青年へと突き刺した。
 生まれてはじめての殺意的な行為故か、少年は両目をつむって、何かに耐えるように歯を食いしばった。
 幹也のナイフを持った両手には、確かに何かを突き刺した感触がある。
 油断して、何事か判らない文句を口にしていた赤いコートの青年に、この突然の反撃を躱《かわ》す事は出来なかった筈だ。
 ......ひどい怪我になっていなければいいけど、とおぼろげな意識で幹也は目を開ける。
 けれど。
 足からの出血の為に白濁していく彼の意識が捉えた最後の映像は、突き出されたナイフを手の平で食い止めている青年の姿だった。
 伸ばした腕の手の平に、深々とナイフが突き刺さっている。青年はにやりとした、悪魔じみた貌《かお》をしていた。
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 わずかな、間。
「ひどい事をするな、君は。人を刺すなんて危ないだろ」
 言って、もう片方の腕を青年は伸ばす。
 腕は黒桐幹也の顔を鷲掴みにすると、そのまま力任せに階段に打ち付けた。
 後頭部を、階段の段差の部分に打ち付ける。一度打ち付けた後わずかに持ち上げて、さらに打ち付けた。
 何度も何度も、ぜんまいで動く人形のように繰り返す。
「危ないな、危ないな、危ないな、危ないな、危ないな、危ないな、危ないな、危ないな、危ないな、危ないな」
 がん、がん、と打ち付ける音と、喋り声だけがロビーに響く。
 しばらくそうして、黒桐幹也という少年の呼吸がとても小さな物になった事に気がついて、青年はようやく腕を離して立ち上がった。
「ああ、痛かった。どのくらい痛かったかというとね、涙が出るぐらい痛かった。君もね、長生きしたかったら人が嫌がる事をしちゃダメだぜ」
 苛立たしげに手の平に刺さったナイフを引き抜くと、赤いコートの青年は自分の言葉にまったくだ、と本心から感心して頷いた。
「さて---事は済んだ。アラヤの研究成果に興味はあるが、やはり本国に帰る事にしよう。この国の空気は淀んでいて我慢ならない」
 動かなくなった黒桐幹也に背を向けて、青年は歩きだす。
 中央のロビーに続く、ただ一本の細い通路へ。
 けれどその前に、彼は予想だにしていなかった物を視界に収めて立ち止まる。いや、立ち止まってしまった。
 かつん、かつん、と何かの足音が通路から聞こえてくる。
 青年---コルネリウス?アルバは信じられないモノを見て、よろよろと後じさった。
 甲高い足音を響かせてロビーにやってきた人物は、昨日ここに訪れた人物そのものだったから。
 信じられん、と青年は息を呑む。
 大きすぎる鞄を片手に持って、死んだはずの蒼崎橙子がそこにいる-----。



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「おまえは死んだはずだ、なんてお決まりの台詞だけはよしてくれよコルネリウス。器が知れるぞ。あまり、私を失望させないでくれ」
 どこか優しさを含んだ声で、静かに蒼崎橙子はそう言った。
 赤いコートの青年---アルバは言葉も無くその姿を見つめている。......その体を、怖れで微かに震わせて。
 橙子はロビーにまでやってくると、よいしょ、と鞄を床に置いた。......それだけが昨日とは違う。昨日の鞄はアタッシュケースなみの大きさだったが、今彼女が持ってきた鞄は遥かに大きい。旅行にでも出かけるような、人一人は押し込めるほどの大きい鞄だった。
「---急いだつもりだったが、間に合わなかったか。黒桐は私の弟子ではないと言ったがね、アレは訂正させてもらうよ。それに教える事なぞ一つもないが、私の身内である事には変わりはない」
「おまえ---おまえは死んだはずだ。確かにこの手で息の根を止めてやった!」
 橙子の声など聞かず、アルバは両手を握り締めて叫んだ。目前の橙子なぞ認めない。これは何かの間違いだ、と駄々をこねる子供のように。
 内面の混乱を必死に覆い隠そうとするアルバとは対照的に、橙子はあくまで冷静だった。血走った眼で睨んでくる赤いコートの青年をまるっきり無視して、ポケットから煙草を取り出す。