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第120页


 わたしの問いに、式はああ、と素直に頷いた。
「でしょう?幹也より先生のがハンサムだけどね」
「そうだな、玄霧のほうが顔の造形に隙がない」
 台詞こそ違えど、わたし達の意見は同一だった。
 そう、玄霧皐月という青年は黒桐幹也にそっくりなのだ。外見も似ているし、なにより雰囲気が瓜二つ。いや、歳をとっているせいか、全てをあるがままに受諾する自然さは玄霧先生のほうが強く感じさせる。
 わたしや式のように周囲とは摩擦《ま さつ》を起こすしかない人間にしてみると、ああいう〝誰も傷つけない?という普通の人はいるだけでショックな筈だ。
 事実、わたしだって――――幹也とわたしが違う人間なのだと気がついた時、わけもなく涙がでた。アレはいつの頃だったろう。もう思い出せないぐらい子供の頃、何かのきっかけでわたしは黒桐幹也がそういうひとなのだと分かったんだ。同じ屋根の下で兄妹として暮らしていて、わたしはいつのまにか幹也を欲しいと思っていた。
 兄妹でそんな事を思うのは異常だと分かっている。けど、わたしはそれを過《あやま》ちだとは思わない。何か悔いる事があるとすれば、それは。
 その、彼を大切な物だと認識できた、始まりのきっかけが思い出せないという事だけで―――
「―――でも、あの人は玄霧皐月という人です。どんなに似ていても、黒桐幹也ではないんだから」
 口にしても仕方のない事をわたしは口にしてしまった。それは横で歩いている式も同じ意見なのだと思う。
 けれど、頷くかと思った式は難しそうに眉をひそめて呟いた。
「似ているっていうよりアレは、むしろ」
そこで式は足を止めると、林を睨《にら》むように木々の奥をじい、と見つめた。
「鮮花。あの奥に何かあるだろ。木造の建物みたいだけど」
「ああ、アレは旧校舎。使われなくなった小等部の校舎で、冬休み中に取り壊す予定だけど、それが?」
「ちょっと見てくる。鮮花は先に戻ってろ」
 黒い礼服のスカートを翻《ひるがえ》して、式は早足で林の中へと消えてしまった。
「ちょっと、式! 待ちなさい、独りで勝手に動き回らないって約束でしょう!」
 叫んで式の後を追う。
「黒桐、鮮花さん」
 その前に、わたしは背後から呼び止められた。


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     ◇

 『式、新しい仕事だ』
 と、トウコは電話越しに言った。
 一月二日の夜、トウコは今までとは毛色の違った仕事を私に押しつけた。
 鮮花の通う礼園女学院におかしな事件が起きたから行って調査をしてほしい、という内容に、私は心弾まなかった。
 私―――両儀式が蒼崎橙子に協力しているのは殺人ができるからなのに、今回の仕事はただ原因の究明をするだけときている。それでは私の虚ろな心持ちは乾いたままで満たされない。
 そもそも、トウコの仕事で何かを殺すコトはあっても人間という物を殺したコトは一度もなかった。たいていは訳のわからない化け物の始末で、夏に一度そういう機会があったけれど、結局、私は『物を視るだけで曲げる』という相手を殺すまでには至らなかった。
 ……正確に言うのなら、その仕事の最中に式がどうして殺人行為に執着するかが分かってしまって、私は殺し合いなら誰とでもかまわない、という妥協を結んでしまっている。
 それはとりあえずお腹は膨れるけれど、味に満足できないという状況だ。
 そんな生活に不満を感じはじめている最中、今度は事件の首謀者を発見するだけでいい、という曖昧な仕事がやってきた。
 私は乗り気ではなかった。
 けれど他にやる事もないのだ。ただ部屋で眠っているか、礼園女学院にいって眠るかの違いなら、断る理由が見当たらない。
 私は詳しい事情を聞いて、妖精が見えない鮮花の目として礼園女学院に赴く事になった。三学期から編入予定と偽装して、冬休みの間だけの転入生として。

     ◇

 林の中を歩く。
 鮮花は付いてこない。
 私は木々の力ーテンの奥に見える、木造の校舎を目指していた。
 曇《くも》った天候のせいか、林の中は霧がかかっているように灰色だ。
 礼園女学院の敷地は広く、校舎と校舎の間に植えられた木々は、すでに学校が所有する林の域を逸脱している。
 礼園の敷地の大半は、木々に埋め尽くされた森だった。学園の中に森があるのではなく、森の中に学園がある。
 腐葉土の地面を歩きながら、私はぼんやりと空気の匂いをかいだ。
 滾滾《こんこん》と湧き出る水のように、空気には薫りがあり、色がある。木々の葉のにおいと虫の音が混ざりあって、心が霞に酔ってしまう。
 熟れた果実みたいな甘ったるい空気。時間がゆったりと進ませていく風景たち。水彩で描かれた風景画の中を歩くような、ふわふわとした不思議な居心地。
―――たしかに。外界と遮断されたこの学園は一つの異界だった。
 ふと思い出してしまう。
 以前、一つのマンションに誰にも介入させない事で異界を作り上げていた男がいた。あいつはなんて回りくどい事をしたんだろう。この学園や両儀の屋敷のように敷地の周囲を壁でかこって誰も入れないようにすれば、それだけで世界は世界と切り離されるというのに。
 ほどなくして林を抜けた。
 小等部の校舎だったという建物は四階建ての古めかしい木造だ。
 森の中、木々を円形に伐り取った広場に、校舎は呼吸さえなく佇《たたず》んでいる。
 広場には雑草が生い茂っていて、なんだか草原みたいだ。
 校舎は朽ち果てる時を待つ、臨終まえの老人によく似ていた。
 草を踏みしめて校舎の中に入ると、中は外観ほどくたびれてはいなかった。
 小等部のものだからか、校舎はどことなく小さい気がする。板張りの廊下は、歩くたびにきいきいと音がした。

 きい、きい。キい、きイ。

 ……虫の音は校舎の中にいても聴こえてくる。私は無人の廊下の真ん中で歩くのをやめた。
「玄霧、皐月」
 さっきの教師の事を考える。
 鮮花は、アレが黒桐幹也に似ているといった。
 似ているというのなら、似ている。人間はみんな同じ顔つきだから、誰だってそっくりだ。
 けれど、アレは外見だけが似ているんじゃない。まとっている空気さえ同じなのだ。
「……似ているんじゃない。アレはそのままだ」
 けれど、何かが決定的に違う。
 なにが?
 答えは出ない。
 喉まで出かかっているのに、あと一歩で思い出せない。
 識《し》っているのに分からないなんて、私も随分と人間らしくなったものだ。
 半年前――――目覚めたはかりの頃は、分からない事なんてなかった。分からない事は両儀式が識らない事だから、考える必要なんてない。
 でも今は、両儀式が識らなかった出来事を、私は知識として経験している。事故の前の両儀式と事故から回復した私との間にあった絶望的なまでの断絶の壁は、だんだんと薄れていくように思える。
 それはきっと、私としての感情を持たなかった私が、こうやって未知の出来事と遭遇する事によって『私の記憶』を重ねているからだ。
 私は―――胸に空いている穴を、くだらない現実や瑣末《さ まつ》ごとにすぎないささやかな感情で埋めていく。依然として生きているという確かな実感はないが、目が覚めたばかりの頃ほどの虚無感はなくなっている。