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第160页


「……そっか。目撃者がいないって事は、見つからないように殺してるってコトだもんね。今になって誰かに見つかるような事件なんて、殺人鬼は起こさないんだ」
 なるほど、と腕を組んで彼女は顔を曇らせる。
 ……なんだか、またこっちの考えを先読みされたような感じだった。
「あたまいいね、あんた。眼鏡をかけたインテリってイメージを先行させるわけだよ。
 ――でさ。あんたはどっちだと思ってるの? 昨夜の事件は別件なのか、それとも前から目撃者はいたのか」
「そんなの、決まってるじゃないですか」
 怒ったように断定しておきながら、僕は答えなかった。
 ……だって、その両方を支持してるなんてのは、自分の論理を矛盾させる返答だから。
 拗《す》ねるように視線を逸《そ》らした僕を見て、彼女はまたけらけらと笑った。
「そっかー、男の子だねえ、あんた。で、これからどうすんの? 彼女の無実でも証明しようっての?」
「その前に確かめたい事があるんです。本当はそれが目的で連絡をいれたんですけど、教えてもらえますか? 最近出回ってる、新しいカクテルの売人を」
「――ははあ。そうきたか、インテリ」
 猫みたいだった笑顔を不敵な笑みに変えて、彼女はこちらを横目で見る。
 どことなく緩んでいた部屋の雰囲気は、ぴんと張り詰めた空気に変わってしまった。
「カクテルっていうと、アシッドと大麻の新しいヤツか。この組み合わせはムードラっていうんだけど、新しいカクテルは今までのヤツには当てはまらない。依存性が高すぎて一度はまったら抜け出せないし、効き目も強すぎて常用しているだけで体を壊す。
 命にかかわる快楽なんて、娯楽じゃないでしょ? リクリエーション?スタッフっていうのがクスリの正しい在り方だよね。そういう意味でいえばさ、あれは違法どころの話じゃないよ」
「そうなんですか? 試したみたけど、吐き気がしたぐらいであとは標準的なレベルだと思いましたけど」
「出回ってるのはね。クスリにはさ、耐性と依存性があるじゃない? 耐性っていうのは、やる度に体がクスリの効き目に憤れてしまう事だよね。耐性が付きやすいクスリは、やる度に使用量が増えてお金がかかる。
 依存性っていうのは身体的なものと精神的なものに分かれるけど、まあ、ぶっちゃけていえばクスリ断ちするのが難しいかどうかの|秤《はかり》か。生活における使用回数の頻度で、依存性が高いクスリほどやる回数が多くなる。ま、ようは本人の意志だけど。煙草好きが煙草をやめるぞって決意するよりは易しい意志だよ。クスリが身を滅ぼすっていうのは迷信にすぎないんだ。要はさ、本人の意志の強さが全てなんだもんね。あたしからいわせればお酒や煙草、コーヒーのほうがよっぽど危ないクスリだい。なんであっちが合法でこっちが違法なのか、お役人に訊きたいぐらい」
 ぐぐ、と握りこぶしで彼女は熱弁する。
 ……まあ、僕はそれに賛同するわけでも否定するわけでもない立場なので、体を小さくして聞いているしかなかった。
「けど、たしかに耐性も付きやすくて身体的依存性も高いって悪魔みたいなクスリもあるわけ。これは本当に身を滅ぼす。そういうクスリ、あたしは嫌いなんだ。だからブラッドチップの売人については、あたしは何も知らない。知りたくもないから、会った事もない」
 聞いた事もないクスリの名前を彼女は言った。
「――ブラッドチップ?」
 訝しむように質問する僕を、彼女はうん、というやけに可愛い仕草で見つめてきた。
「例のさ、新しいカクテル。あれってかなり破格なんだ。ぺーパー二枚と乾燥大麻十グラム、セットでこんだけだもん」
 ビッ、と彼女は指をたてて値段を表示する。
 たしかに、それは破格なんてものじゃない。外国に比べて日本のレートは何倍も高いというけど、彼女の示した値段は外国のレートよりさらに下、有り体にいえば高校生のおこづかいで十分に買えてしまう値段だった。
「なんだか無理して話題をつくってるファーストフードみたいですね、それ」
「うん。でもかなりの間、その値段で続いてるよ。体に耐性を作らせて、依存性が高まったところで一気に値段をつりあげる、なんてヤクザな事もやってない。あまつさえそれに満足できなくなった連中にはもっと上のカクテルが渡されてる。それがブラッドチップっていうぺーパーのこと。純度が高いLSDなのかしんないけど、評判はすごいよ。
ぺーパーは口腔摂取でしょ? なのに効き目は静脈注射よりカッ飛んでるって話。あたしは試してないけどさ」
「その話って、有名ですか?」
「もち、業界じゃそれなりよ。あんたが知らなかったっていうほうがあたしには驚きなりね。ブラッドチップの売人は子供しか相手にしてないから、大手の流通には知られてないんよ。組織末端の売人たちは知ってるけど、上は相手にしてないみたい。しょせんガキのお遊びだと思ってるんだ、アレは。
 と、いうわけで警察屋さんもブラッドチップの事は知らないね。あの人たち、ヤクザ屋さんしかターゲットにいれてないやん。あたしみたいに単独でやってる売人の内情なんて調べないんだよねー」
 あはは、と彼女は陽気に笑う。
 けど、反対にこっちの気分は|陰欝《いんうつ》としていた。
 ……そんな話、僕は聞いた事もなかった。
 例のカクテルを渡してくれたクスリの売人は、それを黙っていたのだろうか。それとも僕にだけ、そんな情報を流しはしなかったのか。
「ありがとう。参考になったよ」
 礼を言って立ちあがる。
 訊きたい事はすべて聞いたので、後は行動に移るだけだ。
「あんまり無茶しちゃだめだよ。ブラッドチップをやってる連中にとって、その売人はカリスマだからね。……ほら、さっき商売あがったりだって言ったろ? この辺りでブラッドチップに関わってない売人ってあたしだけなんだ。嫌いだからね、あーゆークスリ。けど、そうしたら今までの買い手にそっぽ向かれちゃった。なんだかさあ、新手の新興宗教みたいなノリになってるんだ」
 不機嫌そうに、彼女はこたつに入ったままでそんな事を|呟《つぶや》いた。
 散らかった部屋を横断して、玄関のノブに手をかける。
 そのまま振り向かずに最後の質間をした。答えは、まったく期待していない。
「そうだ。その売人の名前って、わかります?」
「あれ、知らなかったの?」
 言って、彼女はその名前を教えてくれた。
 ……瞬間、立ちくらみがした。
 けれどそれで、今までの不消化な事柄はすべて繋がってしまった。僕は努めて冷静な態度でもう一度礼を言って、灰色の街並みへと出ていった。



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 ◇

 六月。
 最近の生活は、今までにないくらい充実している。
 誰かとなんの気兼ねもなく話しあう事がこんなにも楽しい事だったなんて知らなかった。
 放課後や休み時間。
 気がつけば、彼がやってくるのを心待ちにしている自分がいる。
 気がつけば、彼と話している間は心臓がどくんどくんと高鳴って、痛かった。
 いつだって離れない胸の不安は、彼と話している間だけ、その痛みに変わってくれる。
 ああ、認めよう。
 自分の世界は二分されている。その内の半分は、黒桐幹也という人物に依るものだっていう現実を。