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第32页


「奥にいるだろ。入るよ」
 奥には寝室とは別にもう一部屋ある。そこへ通じるドアを開けると、中は真っ暗だった。雨戸を閉めきっているためだ。
 朝日が開けたドアから差し込む。光に反応したのか、暗がりの奥からひっ、という小さな声がした。
 やはり部屋には何もない。家具が無い部屋は箱と同じだ。生活の匂いも何もない。そんな密室に十六歳ぐらいの少年と、食べ散らかした食物の容器、それに携帯電話だけが在った。
「湊啓太くんだろ。こんな所に引きこもってちゃ体に悪い。それにね、人が住んでいないからって勝手に部屋を使うのもいけない。こういうのも空き巣扱いになる」
 部屋に入ると、啓太少年はびくりと壁に身を退いた。……その顔はひどくやつれている。
 事件の晩からまだ三日しか経っていないというのに、頬はこけて眼球は血走っていた。
 一睡もしていないのは明白だ。薬をやっている、との話だったがそれは違う。彼は薬の助けなんかなくても正気を失いかけているのだ。おそらくは、認めたくない程の惨劇を見てしまった為に。
 彼はこの人工的な闇の中、自分を閉じこめる事で辛うじて自我を守っている。崖っ縁の防御方法だけれど、三日程度なら効果的かもしれない。
「―――誰ですか、あなた」
 ぼそり、とした声には微かに知性が残っている。
 踏み込む足を止めた。相手は猟奇事件に直面して錯乱している。犯人を見て恐慌に陥ってる節もあるから、うかつに近寄れば何をしてくるか分からない。疑心暗鬼は僕を犯人の一味としか考えさせないだろう。
 けれど会話が出来るのなら別だ。
 話をしていれば理性は蘇生する。近寄って落ち着かせるより、立ち止まって会話を交わした方が効果的だと判断した。
「誰なんですか、あなた」
 繰り返される質問に、僕は両手を上げた。
「学人の知り合い。いちおう君の先輩でもある。黒桐幹也って言うんだけど、覚えてるかな」
「黒桐―――先輩?」
 彼にとって、僕は予想外の登場人物だったのだろう。しばらく愕然としてから、彼はポロポロと泣き始めた。
「先輩、先輩がどうしてオレのところに来るんですか」
「学人の頼みで君を保護しにきたんだ。厄介な出来事に巻き込まれたって心配してる。学人も、僕もね」
 近寄っていいかい、と尋ねると啓太少年は激しく首を横に振った。
「オレ、ここから出ません。外に出たら殺されます」
「ここにいても殺されるよ」
 啓太少年が目を見開く。敵意を剥き出しにした血走った眼差しを受けて、僕は煙草を取り出した。そうして一服する。……本当は吸わないけれど、いかにも冷静ぶって相手を落ち着かせるのに効果的なジェスチャーだからだ。
「事件のあらましは聞いてる。啓太、君、犯人を知ってるだろ」
 紫煙を吐き出して問い詰めたが、啓太少年は黙ってしまった。
「それじゃ少しだけ、独り言をしてみようか。
 君達は二十日の夜、いつもの溜まり場であるバー蜃気楼に集まっていた。あの晩は雨だったね。僕もちょうどその頃飲み会に顔を出してたけど、そんなのはどうでもいいか。
 学人から君を捜してくれ、と頼まれてから色々と話を聞いたよ。事件の夜も何をしていたか見当はついている。警察はまだ知らないみたいだ。君の友人達、おまわりさんには協力的じゃないから」
 困ったもんだ、と肩をすくめる。
 啓太少年はさっきとは違った怯えを見せていた。これから起こる事への怖れではなく、今までしてきた事を暴かれる事への怯えだろう。
「事件の夜、現場には君達五人の他にもう一人いた。君達が脅していた女子高生。名前は知らないけど、彼女がバーに下りていく所を見たって子がいてね。その女子高生は事件が起きても警察に出頭もしていないし、発見されてもいない。かといって殺された四人と違って遺体もない。君、その子がどうしたか知らないか?」
「知らない―――オレ、そんなヤツ知りません」
「じゃあ、あの四人を殺したのは君になるな。警察に連絡するよ」
「そんな、あんなのオレのせいじゃないですよ……! あんな事、あんな……出来るはずがない……!」
「うん、それは同感。じゃあ女の子は本当にいたんだね?」
 しばらく黙ってから、啓太少年は頷いた。
「でも、それはそれで疑問だ。あの事件は女の子ひとりで出来る事じゃない。薬でも呑まされたのか、君ら?」
 少年はぶるぶると首を横に振った。
 女の子が犯人ではない、という意味じゃなく、自分達はいつも通りだった、という意味合いで。
「男が五人もいて女の子ひとりにやられたなんて、ありえない」
「でもそうなんです……! あいつ、初めからヘンだと思ってたけど、やっぱりまともじゃなかった! 化け物、化け物だったんですよぅ!」
 自分で口にして“その時”の事を思い出したのだろう。がちがちと歯を鳴らして、少年は両手で頭を抱えた。
「あいつ、つっ立ってるだけだったのに、みんな捻れていくんです。ばきばきって骨が砕ける音がして、なんだかわからなかった。ふたりやられた時、オレ、気がついたんだ。やっぱり藤乃は普通じゃないって。ここにいたら殺されるって―――!」
 啓太少年の独り言は、たしかに異常だった。
 少女―――藤乃というその子は、ただ睨むだけで少年達の腕や足をねじ切ったというのだ。
 どうしてそう思うのかは分からないが、その場に居合わせた啓太少年には肌で実感できたのだろう。殺す側と、殺される側の違いというものが。
 それにしても―――見るだけで物を曲げる?
 スプーン曲げじゃあるまいし、とも思ったけど、僕はそれもありうるかな、と頷いてしまった。式という特別な目を持ってしまった少女と、魔術師である橙子さんを知っている自分が今さら何を否定できるというんだ。
 まあそれはそれで保留しておこう。そんな事より気になる単語があったから。
「わかった。その藤乃って子がやった事は信じるよ」
「――――へ?」
 驚いて顔をあげる啓太少年。
「だって先輩、そんなのウソです。こんなの誰も信じやしないでしょ!? ねえ、頼みますからウソだって言ってください……!」
「じゃあトリックという事にしておこう。それとも催眠術って事にすればいいかな。ともかくあんまり深く考えちゃだめだ。わかんない事は無理に受け入れないほうがいいよ。
 それよりさ、初めからヘンだったってどういう意味?」
 僕の投げやりな詭弁に、啓太少年は毒気を抜かれたようだ。さっきまでの緊張感が段々と薄れていく。
「あ……ヘンって……その、ヘンなんです。なんか芝居じみてるっていうか、何をやっても反応が遅れるっていうか。リーダーに脅されても表情ひとつ変えないし、薬を呑まされても変わらないし、殴られてもけろりとしてやがったし」
「……へえ、そう」
 彼らが藤乃という少女に暴行を働いていたのは知っていたが、こう臆面もなく言われると言葉がない。
 半年間にわたって凌辱を受けた藤乃という少女は、その復讐として彼らを殺害した。そこに正義はあるのかないのか、単に正義と法律は昔から仲が悪いのか。さすがに、今は考えたくない。
「だからルックスは最高でしたけど、やってもあんまし面白くなかった。人形を抱いてるみたいな感じで。