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第69页


 それでなくとも、昨今の就職事情は厳しいんだ。
 鮮花はすぐに反論してこようとする。
 その前に―――より攻撃的な台詞が、足音と共に事務所に飛び込んできた。
「いや、就職率はいいぞ。鮮花の歳でそれだけの事が出来るのなら、あと二年もすれば引く手|数多《あまた》だ。表向きだって一流のキュレイターとして雇用される」
 ばたん、とドアの開く音とともに、橙子さんが帰ってきた。

          ◇

 病みあがりの橙子さんは、それを感じさせない確かな足取りで所長の机まで歩いていく。
 上着をかけて椅子に座ると、自分の机を見て眉をよせた。ペーパーナイフの位置がさっきとは違うせいだろう。
「鮮花。人のモノを使うなと言ってるだろう。道具に頼ると腕が|鈍《にぶ》るぞ。大方黒桐の前で失敗するのが嫌だったからだろう、ええ?」
「―――はい、その通りです」
 橙子さんの詰問に、鮮花は頬を赤らめながらもきっぱりと答えた。……そういう所は妹であろうと尊敬してしまう。
「で、めずらしい話をしていたじゃないか。黒桐は魔術に関心はなかったんじゃないのか?」
「そりゃあないですけど…………あの、橙子さん。昨日の事覚えてます?」
 あん? と眼鏡を外した橙子さんは首を傾げた。
 ……そもそもの原因である昨日の意味不明な会話を、言い出した本人が覚えてはいなかった。
 橙子さんは煙草を口にして一服する。
「しかしな、鮮花。なんだって黒桐にそんな話をしたんだ。隠す事、隠匿することが魔術の大前提だぞ。……まあ黒桐相手なら問題はないだろうが」
「僕が相手なら何がいいんですか」
「言っても解らないだろ。秘密が漏れる事もない。おまえは相手によって話す内容を選ぶからね、まっとうな人間にこんな話はしないさ」
「それはそうですけど―――やっぱり他人に知られるとまずいんですか、魔術師って」
「そりゃあまずいさ。社会的にはどうでもいいがね、魔術のキレが落ちる。黒桐、ミステルの語源を知ってるか?」
 橙子さんは机に身を乗り出して尋ねてきた。
「ミステルって、その、ミステリーの事ですか?」
「そうだよ。別に推理小説じゃなく、神秘という意味のミステール」
「はあ。もとはギリシャ語ですよね、英語なんですから」
「……まあそうだな。ギリシャ語で閉ざすって意味。閉鎖、隠匿、自己完結をさす。神秘はね、神秘である事に意味があるんだ。隠しておく事が魔術の本質だ。正体の明かされた魔術は、いかなる超自然的技法を用いていたとしても神秘にはなりえない。ただの手法になりさがる。そうなるとね、とたんにその魔術は弱くなるんだ。
 魔術とて、もとは魔法だった。つまり源である根源から引いている決められた力には違いない。浮遊する神秘、というものがあるとするだろう? これには十の力がある。知っている人間が一人だけなら、十の力全てを使える。けれど知っている人間が二人なら、これは五と五に分けられて使用される。ほら、力が弱くなった。言い方は違えど、この世のすべての基本的な法則だと思うがね、これは」
 橙子さんの言う事の全体像は相変わらず掴めないが、言いたい事はなんとなく解る。
 隠すこと、閉ざすことが魔術というものの在り方だというのなら、魔術師という人達が人前で魔術を披露しないのも頷ける。
「じゃあ、人目につかない所では好き勝手やってるんですね、橙子さんは」
「いや、やんないよ」
 じゅっ、と煙草の火を灰皿でもみ消しながら言った。
「魔術師同士の戦いになったら仕方がないが、それ以外では一人の時でも使ったりはしない。次の段階に進む為の儀礼、儀式の時ぐらいしか魔術的な技法は持ち込まない。
 中世の頃からか、学院と呼ばれるものが出来た。連中の取り締まりがまた病的でな。学院は早くから魔術師が衰退する事を予期していた。彼らはその組織力をもって魔術そのものを決して明かされないモノにした。目に見える神秘を、誰も知らない神秘にまつりあげたのさ。
 結果、社会から神秘は薄れていく事になる。
 これを徹底する為に学院は様々な戒律を作り上げていった。
 例えば、魔術師が一般人を魔術的な現象に巻き込むと、その魔術師を殺す為に学院から刺客がくる。魔術師という群体に害をなす一要因として抹殺する為だ。……魔法使いが一般人に正体を見られると力を失う、という逸話のもとはこれだろうな。
 学院は隠匿性をより強固にする事で魔術の衰退を防ごうとし、その結果、学院に属する魔術師は滅多やたらには魔術を行使しなくなった。
 その律を嫌って野に下る魔術師も多いが、学院が所有する書物や土地は莫大なものだ。魔術師が魔術師として生きていく為に必要なものは、大方学院が制圧している。学院に所属しない、という事は村八分にされるのと同じ事さ。実験をしようにも地脈の歪んだ霊地は学院が所有しているし、魔術を学ぼうにも、教科書が押さえられているのでは学びようがないだろう? 故に学院に所属しない魔術師は、したくても魔術の実践が出来ない。組織の力だな。そのあたりは大したものだと称賛できる」
「あの、橙子さん。そうなると私も学院に所属しないといけないんでしょうか……?」
 おずおずと口を挟む鮮花の声は、どこか不安げだった。
「しなくてもいいが、したほうが便利だぞ。別に学院に入ったら出られないというワケでもない。あそこは止めるのは自由なんだ。大義名分として支配者ではないと称しているからな」
「それでは隠匿性を死守する意味がありません。学んだ者を外に出しては、魔術が広まってしまいます」
 もっともな鮮花の意見に、ああ、と橙子さんは頷いた。
「そうだね。事実、学院に留学してから力をつけ、野に下ろうと考える輩も多い。けれど十年も経てばそんな考えはなくなるのさ。なぜって、魔術を学ぶのなら学院は最高の環境だからだ。魔術師として最高の環境が揃っているのに、わざわざ何も無い野に下るなんて馬鹿な行動は起こさない。魔術師は魔術を学ぶのが最優先事項。学んだ知識や力を使おうなんて事は考えない。そんな時間があるのなら、さらに上の神秘を学ぼうとするだろう。だが鮮花は初めから目的が私達とは違うからな、学院に入ってもあそこの毒に冒される事はない。上を目指したいのなら一度は足を踏み入れるべきだよ」
 鮮花は困ったように眉を下げる。どうも、本人にその気はまったくないようだった。妹がそんなワケのワカラナイ所に留学するのは御免被るので、鮮花のためらいは僕としてはありがたい。
「……一つ訊くけど。その学院の中でも秘密は守られているってコト?」
 その時。唐突にソファーから声がした。
 そこにはさっきから黙って座っている式がいる。彼女は興味のない会話にはまったく参加しない性格で、今まで窓の外の風景を眺めているだけだったのに。
「―――そうだ。学院の中でも魔術師は自分の研究成果を誰にも明かさない。隣り合った者達が何を研究して、何を目指して、何を得たのかも謎だ。魔術師が自己の成果を打ち明けるのは、死ぬ前に子孫に継承する時だけだからな」
「ただ自分の為だけに学ぶくせに、自分の為に力は使わない。そんな在り方に何の意味があるんだ、トウコ。目的が学ぶコトなら――――その過程も学ぶコトか。最初と最後しかないのなら、そんなのはゼロと同じじゃないか」