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第80页


「両儀、おまえ―――――!」
「話は後だ。それにそいつらは人間じゃない。俺にだって何度死んでるかわからないぐらいなんだぜ。そんなの、人間でも死人でもないただの人形だ。どいつもこいつも死にたがっていて、吐き気がする」
 初めて―――憎しみに満ちた顔をして、両儀が走る。
 俺はわずかにためらってから、両儀に殺された家族らしき集団の死体を踏みつけて廊下に出た。
 廊下に出ると、すでに五人ぐらいの人間が廊下に倒れていた。俺がそれから目を背けている間に、両儀は八号室の前で何人目かの人間を斬り伏せていた。
―――強い。

 圧倒的でさえある。どうやらこの連中は東棟からやってきているようだが、映画に出てくるゾンビみたいに動きが緩慢なわけじゃない。人並み以上の激しさで襲いかかってくる。
 だっていうのに、両儀は眉一つ動かさずにあっさりと始末する。血が出ないのは、両儀が言うとおり連中が人間じゃないからだろうか。
 返り血ひとつ浴びずに住人達を殺害し、中央のロビーへの道を開いていく両儀は、白い死神めいていた。
 俺は両儀が切り開いていく人の群れの先を見る。
 ロビーから電灯の光が漏れている。明かりのない西棟の廊下にかろうじて光を届けている通路の入り口に、黒い人影が立っていた。
 意志がない住人達とは違う。
 黒い石碑なんじゃないかと錯覚するほどの塊は、黒いコートを着た男だった。
 それを見た瞬間、俺の意識は凍りついて、糸が切れた人形のように指先一つ動かなくなった。
 見るべきではなかった。いや、違う。俺はここに来るべきではなかったのだ。そうすれば出会ってしまう事もなかった。
 あの、静かで凄惨な出来事には相応しい、悪魔みたいな黒い影に――――――



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 男は、暗い渡り廊下で待っていた。
 中央のロビーに続く、狭く一つしかない道を塞ぐように。
 黒い外套を着込んだ男は月明かりさえ拒んでいて、夜より深い影のようだ。
 闇色の男はマンションの住人達を斬り伏せていく白い少女を感慨もなく眺める。
 その眼差しを感じ取ったのか、立ちはだかる最後の住人を殺して、両儀式は足を止めた。
 少女―――式は、ここまで近付いてようやく男に気がついた。距離にして五メートルもない。こんな近い間合いまで『敵』を感知できなかった事が、彼女自身にさえ信じられなかった。
 いや―――そんな事ではすまされない。男の姿を見ているというのに気配さえ感じられないという事実が、式の心から一切の余裕を剥奪する。
「……皮肉なものだ。本来ならこちらの完成が後になるべきだったのだが」
 重い、聴く者を魂から屈伏させる声で、魔術師は言った。
 一歩、男は前に出る。
 無造作で隙だらけのその前進に、式は反応できなかった。
 目の前の男が『敵』で、自分と臙条巴を殺す気だという事も分かっているのに、いつものように走り寄る事ができない。
 ―――こいつ、視えない……!?
 内心の驚きを噛み殺しつつ、式は男を凝視する。
 今まで気を許しただけで視えてしまっていた人の死が、男にはなかった。
 人間の体には、なぞればそれだけでその箇所を停止させてしまう線がある。それが生命の綻びなのか、分子の接合点の弱い部分なのか、式は知らない。ただ視えるだけだ。
 今まで誰一人、何一つ例外なく『死の線』は有った。
 なのに。この男は、その線があまりに微弱だった。
 式は強く、今まで行なった事もないほど|毅《つよ》く男を睨む。脳が過熱でもしているのか、意識の大半が真っ白になるまで相手を観察して、ようやく視えた。
 ……体の中心、胸の|真中《まなか》に穴が視える。
 線はぐるぐると子供の落書きのように同じ部分で円を描いて、その結果穴のように視えるのか。
「――――知ってるぞ、おまえ」
 その、奇怪な生命の在り方をした相手を、式は知っていた。
 ………彼女は思い出す。
  今の式が思い出せない遠い記憶、
  二年前の雨の夜に起きた出来事の断片を。
 男は答える。
「左様。こうして会うのは、実に二年ぶりだ」
 聴く者の脳を鷲掴みにする、重い声。
 男は、ゆるりと自らのこめかみに手を触れた。頭の側面。額から左には、一直線に切られた傷跡がある。二年前、両儀式がつけた深い傷が。
「おまえは―――――」
「荒耶宗蓮。式を殺す者だ」
 眉一つ動かさず、魔術師は断言した。


 男の外套は確かに魔術師めいていた。
 両肩から下がる黒い布が、童話に現れる魔法使いのマントに似ている。
 そのマントの下から、男の片腕が突き出された。離れている式の首を掴もうとするように、ゆっくりと。
 式は両足のスタンスをかすかに広げて身構える。今まで片手持ちだったナイフも、いつのまにか両手持ちになっていた。
「悪趣味。このマンションに何の意味がある」
 自らの緊張と――――おそらく、初めて体験する畏れという物に耐える為に式は声をあげた。
 魔術師は答える。式には、それを聞く権利があるとでも言うように。
「普遍的な意味はない。あくまで私個人の意志だ」
「ならあの繰り返しもおまえの趣味ってわけか」
 ぎり、と双眸に敵意をこめて式は男を睨む。
 繰り返し――――あの臙条家のように、夜に死んで朝に生き返るという不可解な現象。
「効果的ではないが。
 私は一日で完結する世界を作り上げた。しかしただの生と死の隣り合わせでは両儀にはなりえない。同じ人間達の営みと死去でなければ、おまえを祀りあげるには不十分だ。死亡したのちに蘇生する螺旋では不完全である。絡み台いながらも相克する事が条件ならば、彼らは繋がっていてはいけない。よって陰には彼らの死体を。陽には彼らの生活を用意した」
「は。だからこっちが死体置場で、あっちが日常ってコト? つまらない事にこだわるんだな。そんなの、何の意味もないじゃないか」
「―――意味などないと答えた筈だが」
 そして、男は式の背後に呆然と立ち尽くす少年を見つけた。
 臙条巴は、荒耶宗蓮という闇を直視して固まっている。
「そう、意味などない。もとより同じ人間が二つの属性に同時に存在する事は不可能だ。死者と主者は相容れない。矛盾しているこの世界に、個人が共通できる意味は皆無だ」
 魔術師は少年から視線を少女へと戻す。
 もう、臙条巴には意味もないというかのように。
「これは単純な実験だ。人間は、果たして違う死が迎えられるのか試したかった。人は必ず死ぬ。だがその死は各人ごとに定められた死でしかない。一個人が最後に行なう死とは、たった一つのものなのだ。
 火事で死ぬ者はどのような形であろうと火事に死亡し、家族に殺される者はどうあがこうと家族によって命を落とす。一度目の死の直面から逃れようと、二度目。三度目の死は必ず決められた方法でしか到来せぬ。
 この限られた死に方を、我々は寿命と呼ぶ。
 人は死に方さえ定められている。だが同じ結末を何千回と繰り返せば、その螺旋にも狂いが生じるだろう。狂いは些細な事故でかまわない。仕事帰りに車に轢かれるという在り来りの不幸でいい。