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第81页


 ―――だというのに、今のところ結果は同じだ。二百ほどの繰り返しでは、人の運命は変わらないとみえる」
 つまらなげに、感情もなく男は語る。
 それだけで―――式は、この男をここで殺さなければならないと直感した。
 どのような手段、どのような過程を経て男がこんな事を行なっているかは解らない。
 ただ一つ確かな事は、男は、自分本人でさえどうでもいいという実験で、臙条巴の家族に毎日殺し合いをさせているということだ
「その為に同じ死に方……最後の一日を繰り返させているのか。同じ条件で始まる朝と、同じ条件で暮らしている家族を用意して。それで、夜に死ぬのは臙条のところだけか」
「それでは異界の意味がない。ここに招き入れた家族は、全てが崩壊していた者達だ。もとから壊れていた関係は、ゆとりを無くさせるだけで終着駅に辿り着く。何十年とかかる終わりへの道は苦行だ。彼らは、一月でいずれ至る結末に辿り着いた」
 ……誇るのでもなく嘆くのでもなく、魔術師は言う。
 式は黒い瞳を細めて、黒い男を一瞥する。
「……ブレーキを壊して背中を押した、の間違いだろ。たしかにさ、この建物はストレス溜まるよな。いたる所で歪んでいるんだ。床は海みたいに所々が傾斜してて平衡感覚が狂うし、目に負担をかける塗装と照明の使い方で神経も知らずにまいってくる。何の呪術的な効果もなしで人をここまでおかしくできるんだ。たいした建築家だよ、おまえは」
「否。ここの設計は蒼崎に依頼した。賛美ならば私ではなく彼女に送られるべきだろう」
 男は、さらに一歩踏み込んだ。
 話はここまでらしい。
 式は男の首筋に狙いを定めて―――最後に、本当の疑問を問いかけた。
「アラヤ。どうしてオレを殺す?」
 男は答えない。
 かわりに、おかしな事を口にした。
「巫条霧絵も浅上藤乃も、効果的ではなかった」
「――――え?」
 予想だにしていなかった人物達の名前をだされて、式は言葉を呑む。
 その隙をついて―――男はさらに一歩進んだ。
「死に寄り添わなければ生きていけない巫条霧絵は、おまえとは似て非なる属性だった」
 ……いつ死ぬか判らない病魔に蝕まれた巫条霧絵。それは死を通してしか生きていると実感できないひとりの女性。死ぬ事でしか、生きている事を感じられなかったひとつの人間。……一つの心に二つの肉体を持った能力者。
 そして。
 死に寄り添って、それに抗う事でしか生きている事を感じられない両儀式。……二つの心に一つの肉体を持った能力者。
「死に触れる事でしか快楽を得られない浅上藤乃は、おまえとは似て非なる属性だった」
 ……痛覚がないために外界からの感情を受けとめられなかった浅上藤乃。それは人を殺すという終極的な行為からしか快楽を得られなかったひとりの少女。人を殺して、その痛がる過程と優越感でしか生きている事を感じられなかったひとつの人間。……能力を人工的に閉ざした旧い血族。

 そして。
 死に触れて、互いに殺し合う事でしか自分と、他者とを感じられない両儀式。……能力を人為的に開いた旧い血族。
「死の身近にありながら彼女は死を、おまえは生を選んだ。
 命を潰しながら彼女は殺人を愉しみ、おまえは殺し合いを尊んだ。
 気付いている筈だ。彼女達は同胞でありながら、両儀式とは相反する属性の殺人者なのだと」
 式は、愕然と―――この言い寄る闇を見つめていた。
 見つめる事しか、できなかった。
「二年前は失敗した。ヤツは正反対すぎた。必要だったのは同じ“起源”を持ちながら分かれた者達だったのだ。
 そうだ、悦べ両儀式。あの二人は、おまえの為だけに用意した生贅だ」
 男の声は、笑いを堪えきれない者のように高揚している、なのに顔だけが動かない。変わらない、苦悶に満ちた哲学者の貌。
「もう一つ駒が残っていたが、蒼崎が感付いたのでは仕方がない。臙条巴は拾い物だったぞ。おまえは私の意志とは外れた所で、自分からこの場所を訪れたのだからな」

「おまえが―――――」

 式はナイフを持つ両手に力を込める。
 男は足を止め、式の背後を指差した。
 そこにあるのは、たった今彼女が積み重ねた死者の群れに他ならない。
 その、圧倒的なまでの罪と、闇の具現。
「無こそがおまえの混沌衝動、起源である。
 ―――その闇を見ろ。そして己が名を思い出せ」
 魔的な韻を含んだ呪文が響く。
 それに心を掴まれながら、式は必死に頭をふって叫んだ。

「―――元凶……!」

 迸る叫びと共に、式は魔術師をめがけて飛び出した。極限まで絞られた弓から放たれる矢のように迅い、獣じみた速度と殺意をともなって。

          ◇

 両者の距離は、すでに三メートルほどしかなかった。
 細い廊下で対峙する式と魔術師にとって、お互いに逃げ道という物はない。後退なぞ――――両者とも、思考の隅にさえ存在しない。
 式の体が弾ける。
 この距離なら接近に数秒もかからない。一息のうちにヤツの胸にナイフの刃をねじ込める。
 白い着物が闇に流れる。
 その前に、魔術師は発音した。
「不倶、」
 空気が変わる。
 式の体が、突然に停止する。
「金剛、」
 片手を中空に突き出し、式に向けたままで魔術師が音を漏らす。
 式は、床に浮かび上がる線を視つけた。
「蛇蝎、」
 魔術師の周囲から、あらゆる流動が途絶えていく。
 大気を流れる様々な現象が密閉されていく。
 式は視た。
 黒い男の足元から伸びる、三つの円形の文様を。
―――体が、重い……?
 魔術師を守る三つのサークルは、星の軌道を描いた図形に似ていた。三つの細長いサークルがそれぞれ重なり合うように地面と大気に浮かび上がっている。
 そのサークルの最も外側の線に踏み込んだ途端、式の体は動力を奪われた。蜘蛛の巣に捕らわれた、脆く白い蝶のように。
「その体。荒耶宗蓮が貰い受ける」
 魔術師が動く。
 式が夜の闇に白い着物を残像させて走るのなら、男は、夜の闇に溶けて獲物へとにじり寄った。
 近付く過程さえ視認させない、それは亡霊のような速さ。
 立ち止まり、動けない式の真横に魔術師のコートが翻る。
 気配すらない魔術師の接近に、式は咄嵯に反応できなかった。見ていたのに―――男が近寄ってくると見ていたのに、男が自分の真横に立っていると知覚できない―――

 寒気が走る。
 ここに至って、彼女はようやく『敵』が正真正銘の怪物なのだと理解した。

 魔術師が左手を伸ばす。
 万力のように開かれた手の平が、式の顔を握り潰そうと伸ばされる。
「くる……な……っ!」
 殴りつけるような背中の悪寒が、逆に彼女の体を静止状態から蘇生させた。
 魔術師の指先が顔に触れた瞬間、式は弾かれたように顔を背けた。そのまま体を真横に流しながら、魔術師の腕へとナイフを一閃する。
 ザン、という鈍い音をたててナイフは魔術師の左手首を切断した。
「、戴天」
 魔術師が発音する。
 確実にナイフの刃が通り過ぎた魔術師の手首は、腕から落ちなかった。
 刃は大根を切るように綺麗に通ったというのに、魔術師の手は傷一つない。