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第82页


「、|頂経《ちょうぎょう》」
 右手が動く。
 死なない左手から逃れた式の動きを予測して放たれた右手は。確実に彼女を捕らえていた。
 少女の顔を片手で鷲掴みにして、魔術師は式の体を宙吊りにする。式が少女であるにしても、腕一本で人間を持ち上げる姿は鬼か魔物のようだった。
「あ――――」
 式の喉が震えている。
 喘ぎにも似た声に、意識はなかった。
 男の手の平から感じるものは、圧倒的な絶望感だけ。それは皮膚を貫通して脳髄へと至り、脊髄を滑り落ちて式の全身に浸透した。

 彼女は生まれて初めて。
 このまま、殺されると確信した。

「―――未熟。この左手には仏舎利を埋め込んである。いかな直死の魔眼を用いても、死に易い部分など視えまい。単純に断ち切っただけでは、荒耶は傷つかない」
 少女の顔を掴んだ手の平で圧搾して魔術師は語る。
 式は答えない。
 顔を締め付ける力が強すぎて、答える余裕さえなかった。
 ……男の腕は、人間の頭を握り潰す為の機械だった。がっちりと顔に食い込んだ五指は力任せには解けない。下手に体を揺らして反撃をしようものなら、この機械は躊躇なく式の頭を潰してしまう。
 魔術師の語りは続く。
「加えて私は死なない。私の起源は『静止』である。起源を呼び起こす者は、起源そのものに支配される。すでに止まっている者を、おまえはどう殺すというのだ」
 式は答えない。
 彼女は一切の感情を切り捨てて、男の体にある微弱な線を探しだす事に全力を傾けた。
 全身に巡ってしまった絶望感という麻酔も、顔を締めつける痛みもすべて無視して、唯一の突破口を切り開こうとする。
 けれどその前に。
 魔術師は自らが宙吊りにしている少女を観察し、結論した。
「―――そうか。|顔《あたま》はいらんな」
 感情のない声で、魔術師は初めて腕に力を込めた。
 ビギリ、と骨を砕く音が響く。
 瞬間―――――
 両儀式という少女の顔を握り潰そうとするその右腕が、今度こそナイフによって断ち切られた。
「――――む」
 魔術師がわずかに後退する。
 宙吊りにされた姿勢のまま魔術師の腕を肘から断ち切った式は、自分の顔に張り付いた掌を引き剥がして跳び退いた。

 ドサリ、と地面に黒い腕が落ちる。
 魔術師の三重の円形から届かないぎりぎりの間合いまで離れると、式は片膝をついてしゃがみこむ。
 顔を握り潰されそうになった痛みの為か、それとも魔術師の微弱な死の線を視つけようと意識を集中した為か。式は荒々しい息遣いのまま、膝をついて地面だけを凝視する。
 二人の距離が、もう一度だけ大きく分かたれた。
「……なるほど、私が迂闊だ。病院の一件で立証済みだったな。生きていようが死んでいようが、動く音ならば動かしている源を断つ。それがおまえの能力だ。私がすでに止まった生命だとしても、こうして存在している以上は存在させている糸がある。そこを断たれては確かに死ぬな。唯一の例外はこの左腕だが、それもいつまで隠し通せるか。いかな聖者の骨であろうと、活動している以上はそれを促す因果があるのは道理である」
 断たれた腕など気にもとめずに魔術師は言う。
「やはりその目はいらぬ。両儀式の付属品にしては危険すぎる。だが潰す前には――――麻酔が必要か」
 魔術師は、三重の結界を維持したまま一歩踏み出した。
 式は、その三重の円形を見つめ続ける。
 ……ダメだ。おまえは、今ので決めるべきだったんだ」
 ナイフを逆手に持って、式は言った。
「オレも結界は知ってるよ、修験道じゃ聖域であるお山に女が入らないように結界を張る。入った女は石になるって話だけど、結界っていうのは境界にすぎないんだろ。円の中が結界なんじゃない。その区切りだけが地者を阻む魔力の壁だ。
 なら―――線が消えれば、その力は消失する」
 そして、彼女は地面にナイフを突き立てた。
 魔術師のもつ三重の円形の、一番外側の円そのもの“殺した”のだ。
「――――蒙昧」
 魔術師が焦るように前に出た。
 さらに一歩、式へと近寄っても式に変化はない。
 ………男の守りは三つから二つに減っていた。
 魔術師は内心で舌打ちする。式の直死の眼がこれほどの物だとは考慮していなかった。まさか形のない。生きてもいない結界という概念さえも殺害するとは、なんという絶対性か
 境界に触れた外敵を律する三重結界の外周、不倶を殺された魔術師は式を仕留めるべく走りだす。
「だがあと二つ残っているぞ」
「―――それも、遅い」
 しゃがみこんだ姿勢のまま、式は背後に手を伸ばした。
 着物を締める帯の中には、二本目のナイフがある。
 背中の帯からナイフを真横に引き抜くと、式は即座に魔術師へと投げつけた。
 刃が、二重の結界を貫通する。
 水面を跳ね飛ぶ小石のようにナイフは|円《くうき》の上で二度ほど弾かれて、魔術師の額へ飛んだ。弾丸のような速度だった。
「―――!?」
 魔術師は咄嗟に避けた。ナイフは男の耳元をかすめて通路の奥へと消えていき、避けた筈の耳元はごっそりと|抉《えぐ》られていた。血と肉と砕かれた骨、そして脳漿がこぼれだす。
「――――ぐっ」
 声を漏らす魔術師。
 それより早く―――彼は、自らの体を撃ち抜いた衝撃を感じていた。
 だん、と白い闇が魔術師の体躯に炸裂する。
 それがナイフを投げた後、即座に自分へと疾走してきた式なのだと魔術師が把握した時、勝敗は決していた。
 肩口から体当たりをしてきた式の一撃は、大砲の一撃めいた衝撃だった。それだけでも骨が数本折れてしまったろうに、式の手には、銀のナイフが握られていた。
 ナイフは、魔術師の胸の中心を確実に貫通している。
「ご――――ふ」
 魔術師が吐血する。血は、砂みたいに粉っぽかった。
 式はナイフを引き抜くと、そのまま魔術師の首筋へとナイフを突き入れる。両手で力の限り。勝敗は決しているというのに、必死の表情で二度目の止めを刺そうとする。
 なぜなら―――
「往生際が悪いな。それでは冥途で迷おうぞ、式」
    ―――敵は、まだ死んではいなかったから。
「チクショウ、なんでッ……!」
 呪うように叫ぶ式。なんで―――なんで、おまえは死なないんだ、と。
 魔術師は動かない仏頂面のまま、目玉だけでにやりと笑った。
「確かに、そこは私の急所だろう。だがそれだけでは足りない。いかな直死の魔眼といえど、二百年を生きた我が年月を致死させる事はできない。いずれこの体は途絶えるが、こうなる事は覚悟していた。両儀を捕らえるのだ。代償が自らの死ならば釣り合っている」
 魔術師の左手が走る。
 ……そう。勝敗は、すでに決していたのだ。
 強く握られた男の拳は、そのまま式の腹部を殴り上げた。
 大木でさえ貫きそうな一撃に、式の体が持ち上がる。その一撃だけで、式は胸と首を貫かれた魔術師以上に口から血を逆流させた。
 ばきばきと音をたてて、内臓と、それを守っていた骨が砕かれる。
「―――――」
 そのまま式は気絶した。いかに直死の魔眼を持ち、卓越した運動神経を有していようと、彼女の肉体は脆い少女の物にすぎないのだ。力を半分ほどに抑えていたにせよ、コンクリートの壁さえ砕く荒耶の一撃に耐えられる筈がなかった。