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第130页


 けれどアレに気付いた奴がいるなんて、私の暗器術も錆び付いてしまったらしい。最近は堂々と帯刀していたから武器を隠す事に慣れていなかったとはいえ、素人の鮮花に見破られるなんて、ひどい堕落ぶりだ。
「あんなの、たかだか食事用のナイフだろ。鮮花が気にするほどのことじゃない」
 見破られた事実からか、私は拗ねたような口調で返答していた。
 鮮花は私の言い分など聞かずに詰め寄ってくる。
「だめよ。たとえ刃のないナイフでも、あんたが持つとダムダム弾なみの凶器になるんだから。礼園で人死に沙汰なんて起こされちゃたまらないわ」
「なにをいまさら。もう二人も死んでるんだぜ、気にするような体裁なんてとっくに消えちまってるだろ」
「いえ、殺人事件と死亡事故は別物です。さ、早くナイフを出しなさい。私達の役目は原因の究明であって解決じゃないんだから」
「……嘘つけ。すっかりやる気のくせに」
 断固としてナイフを手放す気のない私は、詰め寄ってくる鮮花を見つめ返す。
 ……私だっていたずらにナイフを持っているわけじゃない。鮮花には告げていないが、今朝目覚める前に私にも何かおかしな感覚があった。
 眠りについてる私の意識と同化してきたアレが妖精というものなのかは知らない。ただ、次があるのなら逃がさない。そのための武器としてのナイフだし、礼園の食器のデザインはすべて凝っていて、気に入っていた。帰ったらこのナイフは観賞用として大事に保管するって、決めた。
 私がそうやって沈黙している中、鮮花はもう目前にまで寄ってきていた。
「どうしても渡さないつもりね、式」
「うるさいな、しつこいぞおまえ。そんなんだから幹也に約束をすっぼかされるんだ」
 数日前の元旦の出来事を私は口にする。
 けど、それは鮮花の感情を荒立てるだけのものだったようだ。……なにか、まずい。
 目の前にいる鮮花の目は、さあ、と引いていく波のように感情をなくしていく。
「―――わかりました。わたし、実力行使にでます」

 恐い声でそう呟くと、彼女は私にのしかかってきた。ベッドに腰を下ろしていた私は、覆いかぶさってくる鮮花を避けられない。
 私と鮮花は、そのままベッドにもつれながら倒れこんだ。

 ……結果として、ナイフは鮮花に奪われてしまった。
 表向き可愛らしい外見をしているが、鮮花はかなり怒りやすい。そんな彼女が本当に怒るとものすごい暴れようで、手負いのクマか何かを連想させるのだ。
 獣を大人しくさせるには言葉も反撃も無意味か、と判断した私は仕方なく隠していたナイフをひとつ差し出して、害のない取っ組み合いを終わらせた。
 鮮花はナイフを持って自分の机へと歩いていく。私はというと、ベッドの上で横になったままだった。
「……このばか力。みろこの腕、真っ赤なアザができてやがる。おまえ、普段なに食べて生きてるんだ」
「失礼ですね、ささやかなパンと新鮮な野菜だけです」
 鮮花はこっちに振り返りもしないで机にナイフを仕舞う。と、そのままカギをかけてしまった。
 私はベッドに腰をかけなおして、彼女の背中を見つめてみる。
 よせばいいのに、なんとなく思った事が口にでた。
「でも意外だ。本当におまえって運動神経がいいんだな。これなら十分幹也を押し倒せるんじゃないか、鮮花」
 とたん、鮮花の顔が真っ赤になる。後ろ姿でそうと判るのは、耳まで赤く染まっていたからだ。
 な、な、な、と声を呑み込みながら鮮花は振り返る。やっぱり彼女は赤面していた。
「な、なにを、言い出すのよ、あんたは」
「別に。他意はないよ。ただそう思っただけのこと」
 ……問題はそう思った理由なのだろうけど、私はそれを深く追求するのをやめておいた。
 鮮花は赤面したままこちらを見据えている。私は、どことなく無関心な瞳でそれを見返していた。
 時計の秒針の音が百回ほど繰り返された頃、鮮花は、はあ、と深く息をついて口を開けた。
「―――やっぱり、わかる?」
「さあ、どうだか。知っていたのはオレじゃないから。少なくとも当の本人は気付いてないから、それでいいんじゃないか?」
 そう、と鮮花は安心したように胸を撫で下ろした。
 ……彼女が黒桐幹也に恋愛感情を持っていると知っていたのは、私ではない。昔、鮮花と初めて会った時にいた織《シキ》が一目で看破しただけだ。式は織づてにそれを知っただけ。
 その知識がなければ、私だって気がつかなかっただろう。彼女が幹也に対してだけ厳しい対応をする理由も、彼がいない所では自分に言い聞かせるように兄という単語を使わないのも。
 鮮花は元通りの冷静さを取り戻すと、今度は逆に私をじろりと睨んできた。
「けどあたまにくるなあ。それって余裕、式?」
 わけのわからない事で鮮花は難癖をつけてくる。
 私は理解不能な質問に、ひとり首をかしげた。
「わたしに取られてもいいのかってこと。ほんと、あったまくるなあ」
 じれったそうに鮮花は同じ台詞を繰り返す。
 けど、とられるって誰をだろう。話の流れからいって幹也の事か。でも、アレは私の物じゃない。アレは、そう。悔しいけれど式という私の物ではなくて―――――
 いけない。その先は、考えてはいけない事だ。
 不意に背筋に怖れが走って、私は思考を止めた。
「……鮮花はさ、なんであんなのがいいんだよ。兄妹だろ、おまえ達って」
 自分を誤魔化すためにイヤな質問を私はする。
 鮮花はそうね、と視線を泳がせて答えた。
「白状するとね、式。わたしって特別なものが好きなの。っていうより、禁忌と呼ばれるものに惹かれる質《たち》みたいなんだ。だから幹也が兄である事に問題はないのよ。あるのはあっちだけで、わたしにはむしろ喜ばしい事だわ。好きな相手が近親なんて、幸運なことだって思ってるし」
 あくまで冷静な趣で鮮花はとんでもない事を口にした。
 ……つくづく。あの男は、おかしなヤツに好かれる傾向にあるみたいだ。
「この、ヘンタイ」
「なによ、異常者」
 ほぼ同じタイミングで、私と鮮花は互いを罵りあう。それは嫌悪や軽蔑を含まない、本当に素直な意見の言い合いだった。



 鮮花は明日早くから調べる事があるから、と早々に眠ってしまった。
 私はというと、普段が夜行性なだけあって簡単には眠りにつけない。
 時計の針が二時をすぎても眠気はやってこないので、ただぼんやりと窓の外の景色を見つめていた。
 外には明かりもなく、深い木々の闇だけがある。森の中には月の明かりさえ届かず、この寮舎は深海にあるように静かだ。
 私は食堂で手に入れたナイフを片手でもてあそびながら、森と闇とを眺める。
 食堂で手に入れたナイフは二本。一本はここで使う為に、一本は持ちかえる為に入手したのに、観賞用の方は鮮花にとられてしまった。
 こうなると残った一本が使われない事を願うだけだが、やはりそれは叶いそうにない。
「今夜はずいぶんと忙しいじゃないか、おまえ達」
 窓の外の景色を見て、私はひとり呟く。
 暗い礼園の夜の中、ホタルのように燈《とも》るモノが無数に飛びかっている。その数は十や二十ではない。昨夜は一、二匹程度だったというのに、今夜にかぎって妖精とやらは活発に動き回っている。