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第162页


 金髪のシキは式ではなく、ただ、殺人鬼と名付けられた青年にすぎなかった。
「知ってるぞ、おまえは――――」
 式は呟《つぶや》き、
 殺人鬼は走りだした。
 彼はナイフを片手に、地面を這うような腰の低さで路地裏の狭い道を疾走する。
 一直線。ただ純粋に、立ちつくす両儀式めがけて。
 式は即座にナイフを構えて、驚きに眉をひそめた。
 迫りくる影は、人間の動きをしていなかった。
 影は蛇のように蛇行する。
 狭い路地裏の道は、殺人鬼にとっては広すぎる猟場だった。
 式が目と肌で感じとる警戒網を、影はケモノのようにすばやく擦《す》り抜けてくる。
 そう――見えているのに、その動きが捉《とら》えられない。
 式にとってはまだ遠く、彼にとっては必殺の間合いにまで距離が縮まった時。
 蛇は、その動きを猛獣のモノヘと変えた。
 爆《は》ぜる火花のような、迸《ほとばし》り。
 ケモノは式の頭上へと跳躍して、その頭部へとナイフを突き刺す。
 きいん、とナイフとナイフが衝突した。
 式の脳天を狙ったナイフと、それを防ぎに入った式のナイフがつばぜり合う。
 一瞬――それぞれのナイフと共通するように、二人は視線を交錯させた。
 敵意に満ちた式の瞳と、歓《よろこ》びに満ちた殺人鬼の瞳。
 にやりと笑って、殺人鬼は大きく跳ねた。
 式から逃れるように後方に跳んで、蜘蛛《くも》じみた動作で着地する。
 一度の跳躍で六メートルも離れたそれは、手足を地面につけて、獣のような息を吐いた。
 明らかに、それは人間という存在から逸脱していた。
「なんで」、と彼は言った。
「なんで、本気でやらないんだ」
 死体を背にして、流れる血液に濡れながら、殺人鬼は抗議の声をあげる。
 式という少女は答えず、ただ自分に似せた相手を見つめていた。
「……四年前とは別人じゃないか。今だって俺を殺そうと思えば殺せたのに、一線を越えてくれない。仲間が欲しいのに、両儀式がそれじゃあこまる」
 荒い、心臓そのものから吐き出すような息遣いが響く。
 意外な事に――殺人鬼らしきソレは、会話ができるほどの理性をもっているようだ。
 殺人鬼の吐息は、今にも呼吸困難で倒れそうなほど荒い。
 興奮の為か、それとも本当に苦しいのか。
 式はどちらだろうと少しだけ考えて、すぐに飽きた。そんなもの、どちらだって彼女には関係のないコトだから。
「……そういうコト、か。可愛らしい名前なんで、てっきり女と勘違いしてた。でも話をするのはあの時で最後だって言ってたのにね、先輩」
 冷たい式の声に、殺人鬼はさあ、と首を横に振った。
「……そう、だったかな。あいにく、そんな昔のコトは、忘れた」
 殺人鬼は笑いを噛み殺して答える。
 口調とは裏腹に、彼はこの上なく楽しそうだった。
 もちろん、式は楽しくもなんともない。
 相手が何者であれ、殺人鬼を見付けだして始末するのが、彼女の唯一つの目的だから。
「――何人殺した、おまえ」
 瞳を細めて式は問いただす。
 殺人鬼は笑って覚えてない、と返答した。
「……あのさあ、狂人が自分の行為を覚えてると思ってんのか? そんな事あるわけないだろ。つまんないコト訊くなよ。狂人がやばいコトやんのは当たり前の事なんだ。だからこの三年間、俺は誰にも人殺しだと指さされる事はなかったぜ。……俺はさ、殺しても罪を問われない人間なんだよ。むしろ毎日殺さなくっちゃいけないのかもしれないぐらいだ。
 あああ、だっていうのに、わかりやすく証拠を残してやったのは、全部おまえの為なんだぜ。わざわざわかりやすく死体を残してやれば、四年前を思い出すと思ったんだ。おまえは無視し続けて効果はあがらなかったが、違ったところで、効果はあがった、な。
 そう、殺人鬼だよ。名前のなかった俺に世間が与えたこの名前――実に的を射てるじゃないか……! あんまりにも嬉しくてさ、この一週間はご期待に応えてやったってワケさ。殺人鬼はみんなの予想通りに人を殺さなくちゃいけないもんな。そうだろう? おまえはわかっているハズだぜ両儀。だから俺が羨《うらや》ましくて探してたんだ。早く自由になりたくて、俺っていう同類を見付けたかったんだ。
 ……ああ、わかってる。わかってるんだ。わかってるとも。だって俺が一番、おまえをわかってやれるんだから…………!」
 ………路地裏に響く呼吸はますます高く、危険な物になっていく。
 殺人鬼の舌が、血に濡れた唇をぬめりと舐めていく。
 狂人の如く血走った眼をした、自分に似せた者。
 それを前にして、式は何も答えない。
 激しい嫌悪が彼女の言葉を封じている。
 この相手と話す事さえ汚らわしくて、式は一言も口にしない。
 ……殺人鬼の言葉に抗《あらが》いがたい真実が含まれていて、それを否定したかったとしても。
 ――殺人鬼に、なりたがっている。
 その言葉に、彼女は誰にも気付かれないよう、そっと眉を曇らせた。
 けれど、あらゆるケモノの感覚を備えた殺人鬼はその変化を見逃さない。
 彼はにやり、と口元をいびつに釣り上げる。
「……ほら、おまえは無理をしてる。そんなコト、初めから解っていただろう……? おまえが何をしても満たされないのは、おまえ自身の起源に逆らっているからだ。我慢する必要なんかない。素直に、やりたいコトだけやればいい」
 式は答えない。
 彼女は害虫でも見る目つきで地面に這りついたケモノを眺める。
 殺人鬼は、最後の提案を口にした。
「……そうか。それでも戻れないっていうのなら原因を殺すしかないな。今の両儀式を繋ぎ止めてる奴を殺ればいい。そうすれば全て解決だ。まさか出来ないなんていわないよなあ、おまえだって本当は殺したくてウズウズしているんだからさあ……!」
 あはははは、と殺人鬼は嗤《わら》った。
 楽しくて仕方がない、といった彼は、同時に

 一瞬にして目前に現れた両儀式によって、片腕を断ち切られていた。

「誰が――」
「――え?」
 視認、できない。

 無表情で、ただ瞳だけを青く輝かせる両儀式の行為が、殺人鬼には見えなかった。
 獲物を狩る肉食動物の動作は、迅すぎて人間の視覚では捉えられない。ソレと同格の殺人鬼の動態視力を以てして、なお、両儀式の動きは捉えられなかった。
 殺人鬼の片腕を切り落としたナイフは、容赦なく敵の首めがけて翻《ひるがえ》される。
「――誰を、殺すって」
「ひ――!」
 悲鳴をあげて殺人鬼は跳んだ。
 後に跳ぶのでは絶対に式に追いつかれる。逃げるのならば、彼女がどうやっても追いつけない場所へ逃れなくてはいけない。
 瞬時にそう思考して、彼は路地裏を囲む壁へと跳びつき、さらに上へと跳び上がる。ムササビじみた移動は、たやすく彼を安全圏に避難させた。
 地上二十メートルほどのビルの側面に、殺人鬼は蜘蛛《くも》のように張りついた。
 彼は、恐る恐る眼下の光景を見つめる。

――――青い眼をした死神が、地上から自分を見あげていた。

 彼女から放たれる殺気は刃物になって、彼の全身を刺し貫く。