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第164页



 突然に。
 玄関から、そんな言葉が投げかけられた。
 ぎしり、ぎしり、と足音が近付いてくる。
 彼はゆっくりと、以前のように親密げな笑顔のまま、やあ、と手をあげて帰ってきた。
「久しぶり。三年ぶりかな、黒桐くん」
「――――」
 驚きで声もない。
 やってきた彼は、まるで式そのものだった。
 女物のスカートと、赤い革製のジャンパー。肩口で切り揃えたバラバラの髪と、中性的な顔立ち。
 ただ髪は金色で、瞳はカラーコンタクトでも入れているのか兎みたいに真っ赤だった。
「思ったより早かったね。正直、キミがここにやってくるのはまだまだ先だと予定していたのに」
 残念そうに俯《うつむ》いて彼は言う。
 僕はそうですね、と同意した。
「ふむ。ボクはなにかヘマでもしたかな。キミと最後に話をしたファミレス以来、痕跡はすべて絶っていた筈《はず》なんだけど」
「……そうですね。貴方自身にミスはなかったと思います。ただ、ヒントはありました。十一月にあるマンションが取り壊された事は知っているでしょう? その直前にマンションの住人を調べる機会があったんです。
 その時、貴方の名字を見つけました。僕はそれがずっと気になっていた。だってあのマンションは普通じゃなかった。あそこに居た以上、貴方はなんらかの形で式に関わっている事になるんです。
 そうでしょう? ――――白純《しらずみ》、里緒《りお》先輩」
 金色の髪をかきあげて、ああ、と先輩は頷《うなず》いた。
「なるほど、マンションの名簿とはね。荒耶《あらや》さんもつまらない小細工をしてくれたものだ。おかげでボクは一番会いたくない相手と、こんなに早く会う事になってしまったというワケか」
 困ったふうに微笑って、先輩は部屋の中に入ってきた。
 ……その時、ようやく気がついた。
 白純先輩の左腕が、キレイに失われているという事に。
「その様子じゃ、全部わかってるみたいだね。
 そう、三年前のこの季節のことだ。キミが両儀式の屋敷を訪ねた時にボクに出会ったのは偶然じゃない。ボクはキミに彼女の殺害現場を見せたくて、キミを呼び止めたんだ。まあそれが余計な事で、結果としてボクは荒耶さんに失敗作扱いされたんだけど。……けど、今でもあの選択は正しいと思ってる。あのまま、キミが彼女の本性を知らずに犠牲になるのは我慢できなかったからね」
 窓際の机に腰をかけて、白純先輩は懐かしそうに語った。
 その様子は、僕の知っている先輩と何ら変わってなぞいない。……なんてコトだろう。日記を読んで、ブラッドチップの売人という話を聞いて、僕は先輩が変わってしまったと思っていた。
 けど、この人は昔のままだ。昔のままの、人のいい先輩なんだ。
 日記に書かれていた事件については、この人に全ての責任があるわけでもない。発端は不幸な事故と、荒耶というもういない人物によるものだという事を、黒桐幹也は知ってしまった。
 それでも。僕は、この人の罪を告発しなければいけない。
「もう、四年も前から。先輩は、罪を重ねています」
 正面から彼を見据《みす》えて、僕は言った。
 白純《しらずみ》先輩はわずかに視線を逸《そ》らして、それでも静かに頷《うなず》いた。
「その通りだ。しかし四年前の通り魔殺人の犯人はボクじゃない。アレは両儀式の手によるものだ。ボクはキミを守りたくて、彼女の先回りをしていただけにすぎない」
「それは嘘ですよ、先輩」
 断言して、僕はポケットからブラッドチップと呼ばれる紙切れを取り出して、手を離した。
 赤い切手はゆらゆらと散らかった部屋に落ちていく。
 白純里緒は、それを辛そうな瞳で見つめていた。
「……先輩。貴方のやりたかった事って、こんな事だったんですか」
 僕がまだ高校生だったころ。やりたい事ができたといって学校を自主退学した先輩は、静かに首を横に振った。
「……たしかに、方向性はズレてしまった。こどもの頃からなまじ薬物に詳しかったせいか、ボクは自分の技量を過信していたんだな。ボクは単に、自由になれるクスリを作りたかっただけだったのに。
 ……ほんとう。どうしてこんなコトになってしまったんだろうね、ボクは」
 自嘲の笑みを噛み殺して、白純先輩は片腕で自分の体を抱いた。震える体を支えるような仕草だった。
 僕の視線に気がついたのか、先輩は無くなっている左腕に視線を送る。
「これかい? キミの想像通り、両儀式にやられたものだよ。片腕ぐらいどうってコトないって思ってたけど、これが中々に治らない。殺すっていう事はそういうコトなんだろう。傷は治療できるけど、死んだ箇所は治療できない。蘇生の業《わざ》は魔法使いの領域だと荒耶さんは語っていた」
 魔法使い。その単語をこの人から聞くはめになるなんて、あの頃は考えもしなかった。
 でも、これは必然なんだ。
 四年前。
 事故で人を死なせてしまった白純里緒が荒耶宗蓮という魔術師に助けられた時、式と組み合った僕がその魔術師に助けられた時。
 その時から、こうなる事は定められていたんだから。
 ――それでも。
 人を殺してしまった貴方は、その罪を償《つぐな》わなければいけないんです。
「先輩。どうして、貴方は何度も人殺しをしたんですか」
 問い詰める声に、白純里緒は瞼《まぶた》を閉じて答えた。
「……ボクだって、殺したくて殺してるんじゃない」
 苦しげに呟いて、彼は手の平を自分の胸に当てた。
 ぐ、と胸をかきむしるように、手の平が力を帯びていく。
「ボクは、一度だって、自分の意志で人を殺したコトなんてない」
「なら、どうして」
「……黒桐くん。キミは起源というモノを知っているか。蒼崎橙子のもとにいるのなら聞いたコトぐらいはあるだろう。そのモノの本質、存在の大元となった事柄。ひいてはそのモノ自体の在り方を決定する方向性。
 ボクはね、そいつを覚醒させられたのさ。荒耶宗蓮っていう、人の皮をかぶった悪魔にね」
 残念な事に、僕は起源なんて単語を教えてもらった事はない。起源を覚醒させられた、と言われてもちんぷんかんぷんだ。
「……よく分かりませんけど、それが原因だっていうんですか、貴方は」
「ああ。起源が何物であるかは、ボクだって詳しくわからない。あるいは蒼崎橙子なら解決策を知っているのかもしれない。けど、たぶんボクは手遅れだ。
 起源というのはね、わかりやすく言うと本能なんだと思う。ボクやキミが持っている本能。こいつは人それぞれのカタチを持っている。まったく害のない本能を持っているヤツもいれば、ボクのように特別な本能を持っている人問もいる。ボクのその本能は、運が悪い事に荒耶の目的に適うものだったんだ」
 はあ、と大きく呼吸をして先輩は続ける。
 彼の額には、この寒空の下だというのに玉のような汗が浮かんでいた。
 何か、絶望的なまでに危険な空気が張り詰めていく。
 ……このままじゃひどく危険な目に遭うな、という予感に苛《さいな》まれながらも、僕はこの場から逃げ出す事はできなかった。
「先輩、大丈夫ですか。様子がおかしいですよ」
「心配は無用だ。こんなのはいつもの事だからね」